▼ルネのお店は婦人服のお店。社交ダンスのドレスのお店。最近はフラダンスのドレスやレイなども扱うようになっている。 お店のお客さんが、「パーティードレスやかっこいい服を買っても着ていくところがないわよ」と言われることがあって、それならば、ドレスアップして参加できるパーティーをしようということで、かなり昔からパーティーを開いていたが、それも4、5回続いたところで長く中断をしていた。
▼ピアノバーをやっている奥方の同級生が音楽が好きでピアノも上手。地元のアーティストをお店に呼んでライブをしたり、クリスマスにはホテルでその一年の集大成のようなパーティーをやっている。そのクリスマスパーティーに最初に行った時、オールディーズブームの名残もあってものすごく盛り上がってみんなディスコを踊って楽しんでいた。その帰り道に奥方と顔を見合わせ「こんなパーティーをしよう!」と言葉が重なった。わくわくパーティーの最初はそれから、なにもないところから意気込みだけで準備をはじめて1ヶ月半くらいで第1回のわくわくパーティー開催となったのだった。このときは、東京第一ホテルで、250名を超える参加をいただきました。これが、2001年の話。以降毎年開催し、2013年まで続いている。
▼回を重ねるうちに、バンドさんも幾つか入れ替わって、最初はバンドさんが持っているPA機材でやってもらっていたのだけど、PAが必要というバンドさんもあって、それまで音響関係はアマチュアの方にお願いしていたのだけど、バンドのPAとなるとお願いできるところを当時は知らなかったのと聞いた話では仕事として依頼するとかなり高額という話だったので、それならば自分でやりましょうと、スピーカーやらアンプやらを集めだしたのが始まり。一番最初は楽器や音響機材を扱うお店(ウエスト)に行って、「スピーカー貸してもらえませんか」と言ったのを覚えている。「人と一緒なら貸しましょう・・」という煮え切らない返事に、どういう意味やろかと考えた。そういったところからなので、音響に関してはほとんど独学。だけど仕事でかかわった同業の音響屋さんに教えてもらったことは多く感謝している。
▼もう一つきっかけをもらったのがカラオケの先生。少し音響機材がそろってきた頃に、プロの音響屋さんがやっていたカラオケ大会の音響をかわりにやってくれという話が舞い込んできた。当時は、自分のキャパを超えていたにもかかわらず無謀にも引き受けたというか無理やり引き受けさせられた。それが結果的に機材も増え、音のスキルも勉強になり、今の形への弾みとなった。昨年(2008年)は県文サブホールでカラオケ大会を開催。同業の人にも機材を借りたりしてお世話になったが、無事開催でき、広い会場での音響も少しわかってきた。まだまだ修行中だけど、ひところに比べるとずいぶん慣れてきた。今年は機材も含めて全部自前でできそうだ。だいぶん遠回りしたような気もするけど、なんか変な運命。
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